同郷会・同窓会のご案内

兵庫県下の東京同郷会、高校同窓会東京支部のご案内です。

 

錦江会東京支部(県立農業高校)

此の程、平成18年8月6日(日)、社団法人錦江会(しゃだんほうじんきんこうかい)に永年の夢だった東京支部が再び声を挙げた。

 錦江(きんこう)と言えば鹿児島県の錦江湾と思う人も多いが、此処で言う錦江は、曾ての明石城(兵庫県明石市)の名が「錦江城(きんこうじょう)」と呼ばれた故の錦江である。

 明治28年12月24日の当時の兵庫県会の議決を受け、明石城址(現在の明石公園内)の御料地1000坪が学校用地として無償下付され、明治30年4月1日に、『兵庫県簡易農学校』が創設された。趣旨は、農は国の礎なり。当時の日本の農業を世界に示すべき大志から設立されたのである。それから110年と言う時の流れが在る。

 創設当時の生徒定員数は120名だったそうだ。同校100年史に依ると当時の就業年限は2年。受験資格は年齢14歳以上の男子で、卒業後は農業に従事する尋常科を卒業又は此れと同等以上の学力を有する者(当時の尋常科は現在の小学校で4年制)となっていたようだ。従って「県農」に入学出来るのは相当な富裕家庭でないと就学不能だったと伝えられている。以後に於いては、日本国中に多くの学校が在っても『県農』と言えば現在の「兵庫県立農業高等学校」を置いて他に無い。現在の学校制度の学区制でも、「県農」は兵庫県全域が学区なのです。

 創立当時の学科は、土壌排水灌漑及び肥料、耕種(環在の米・麦を指す)園芸及び森林、養畜、水産、農業経済、農産製造、算術、物理科学、博物科、農業実習、備考として修身は各学科教授の際、臨機此れを授く。農業簿記は算術科に、害虫は博物科に、気象は物理科に付帯して其の大要を授く。と在るので、現在と比べれば当時の大先輩には大変難解な授業と察せられます。

 その簡易農学校から明治34年4月1日に「兵庫県立農学校」、更に昭和23年4月1日の学制改革で「兵庫県立農業高等学校」と改称され、今日に至っている。それらを卒業した同窓生組織が『社団法人錦江会』。同窓会が社団法人格を有する事が此れまた珍しい。 それは23、000名もの先輩が営々と、艱難辛苦、額に汗して築き挙げられた不動産等諸資産の管理には、矢張り公益法人格の必要性が在った訳で在る。
 同窓会が公益法人で社団法人組織と言うのが珍しく、まして昭和8年(1933年)7月23日に、当時の文部省から許可された法人格と在っては吃驚。

 県農100年史P.742に、昭和8年10月15日に第1回社団法人兵庫県立農学校錦江会評議員会としての記録が掲載され、それには東京支部評議員川見禎一氏との記述が在るのに、何時の日か消滅している。従って今回の設立は産声ではなく、再興と言うのが適当ではないか。
平成18年3月31日現在、入会会員数は実に23、192名、(逝去者約2、300名を除き)存命中会員数は(教職客員を除き)19,987名に及びます。(平成20年4月1日現在では23,000名余)
その内に首都圏に常住する者約150名余りに至るも、過去に何度か支部再興の企画が在るも顕現しなかった。今回高校第4回生で行政書士松尾俊樹(東京都江東区在住)が発起人代表となり、些やかに14名では在るが、念願の首都圏における会員親睦の核と、東京支部の再興に漕ぎ着けたものだ。 去る8月6日の総会決議で、支部長に松尾俊樹、幹事に田中秀朗、花房利幸、鍋嶋義秀の3名が選ばれ、船出した。今後は組織拡大に入魂、首都圏に相応しい組織が育まれて行く事でしょう。


代表者

事務所 〒270−1515 千葉県印旛郡栄町安食台5−23−8
支部長 花房 利幸


総会開催予定・結果

  • 日時:平成23年10月22日(土)16:30〜
    場所:いけす道場【魚家】 (江東区)

  • 日時:平成22年10月23日(土)16:30〜
    場所:いけす道場【魚家】 (江東区)

  • 日時:平成21年10月3日(土)14:00〜
    場所:日枝あかさか山王茶寮

  • 日時:平成20年10月13日(月)14:00〜
    場所:梅仁(江東区)

  • 日時:平成19年9月30日(日)14:00〜
    場所:ビスタホテル東陽町(江東区東陽4-4-3)

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